終戦記念日である今日という日に この記事を書いているのは、なんという偶然でしょうか。
この「鎌倉隠れ家」は昭和19年に建築されました。今から75年前の事です。
昭和19年といえば戦時中でも非常に情勢が悪かった時期。
なぜそんな時期に建築されたか? それは、当時、空襲の影響で「疎開令」が出された為でした。
通常であれば田舎の親戚を頼り疎開するのが普通。
しかしながら、当時の建築主は東京から離れたこの鎌倉の地に、疎開の為の別宅を建築しました。
いわば本当に隠れ家として機能させた。
そして、翌年、昭和20年に終戦を迎えたのです。
戦争の歴史を刻んだ建物
個人情報のからみもあり、今、打ち込みながらもどこまで記載してよいのか悩んでいます。。。。。。
この建物の建築主は世界的にも有名な某企業の社長だった方。
現在その会社の社長の席には当時の建築主のお孫さんが就かれています。
推測するに、かなりの財力があった為、疎開の為にこの家を建築したのだろうと思うのです。
さて、この建物の当時の図面が残っているのです。
それがこれ。
建物は数寄屋造りをベースにした和風建物です。
キッチン水周り(図面上部)、和室6畳と8畳、さらには茶室4畳半に1間幅の広い広縁で繋がります。
そして応接用の洋室(図面左下の8畳)、さらには、使用人用の部屋(図面左上3畳)が備え付けられているのです。
そんな歴史のある古民家
さて、建築主だった、その某企業について。。。。
実は、個人的には、縁があれば、当時の話をお伺いしたく思っています。
将来の縁を繋ぐために記しておこう。
その企業とは、「三菱鉛筆」
そして、三菱鉛筆の現社長である数原英一郎氏の祖父に当たる 数原三郎氏 が施主として、疎開の為の別邸として、この建物を建築。
そして、数原三郎氏 は引退後この建物をこよなく愛し、晩年を過ごしたとお聞きしました。
三郎氏が亡くなられた後、三菱鉛筆と取引関係があり懇意にしていた方にこの建物を売却。そして、私がこの建物を引き継ぐことになりました。
そんな深い歴史を刻んだ建物が、この鎌倉隠れ家。
新しい息を吹き込み、大切に再生していきたいと思います。
コメント
窓の格子の入り方がいいですねえ!!
まだ、じっくり見ていないので、気づかなかったです。これから楽しみ。